2010年11月4日木曜日

日本の「教育」再生



先日リアル熟議なる呼称で教育問題を話し合う場があり、日ごろから日本の教育はおかしいぞと思っている私としては参加しない手はないと思い、祝日を返上して参加してみた。

主催がNPOであるものの、タイトルは「小学校中学校のために私たちが明日から具体的にできること」とか「討論はせずに人の話を聞く」などという注意を書いた文科省のマニュアルに沿って進められており、国主導ですこし胡散臭い臭いがしたが、参加者は教育に関心の深い様子が感じ取れ、結果的には非常に有意義なものであった。

教育の荒廃といわれて久しいが、そもそも日本の教育の問題はどこにあるか思いつくまま列記してみる。

①英語教育を6年間、大学へ行けばさらに2年プラスの8年間やっても国際的に会話ができない人が多い。
②クラスを統制できない教師が原因の学級崩壊
③いじめが社会問題になるまで放置され、さらに教師自らいじめに加わる事件さえ起きた。
④子どもの人権を過剰に配慮しすぎて、基本的なしつけがなされていない子どもに対する教育方法を見失った
⑤教師が親に異常なまでに遠慮したことから生じたいわゆる「モンスターペアレント」問題

⑥受験体制を重んじて平均的に出来のいい子は作っても、特定の才能を引き出すことを軽んじて、国際的レベルに比肩しうる人材が生じにくくなったこと
⑦誰でも高校へ行く時代にはなったが、いわゆる「デキの悪い生徒」の勉強に対するモチベーションが低く、スポイルされる子どもが多いこと
⑧教育の目的があたかも皆、学者か高級官僚、大会社の役員になるのが目標かのごとく、とにかく試験問題が解けることを目標に置きすぎ、思いやる心、創造性、問題解決力、リーダーシップ、意思、表現力、判断力など社会人として必要な能力を身につけることをおろそかにしたこと

⑨職業に対して目を向けさせる機会が少なく、結果として好きで職を選ぶという傾向が概して少ないこと
⑩日本人として祖先を敬い歴史に思いをはせ、何より祖国を愛することという国民として大事なことを大戦前の遺物扱いにして、置き去りにしたこと

原因を作ってきたのは、教育への情熱をかえってタブーとし「官僚化」した教育者、話せない英語教育をいまだに放置したり、教育がこうなったのも親と地域と日教組が悪いと思っている(ような)文科省ばかりでない。
教育を母親任せにしてきた男親、男をとことん働かせ家庭を顧みる奴は会社のガンという扱いをした会社、しつけは学校がやるものだとうそぶく親、よその子に無関心な地域社会、戦後の誤った「民主」教育、伝統を切って捨てた(捨てさせられた)日本社会、全てが悪い。

リアル熟議では「討論」を禁止しているので文科省や教育者を批判するのは憚れる雰囲気がありありで、結論としては「家庭・地域・学校・職場としての会社の連携と交流を深め、社会全体で子どもたちを育てていこう」という単純だが、しかしすごく重要な点をあぶりだして終わった。

特に地域=コミュニティの希薄さがかなりな比重で教育問題の原因となっているという思いを強くした。
よその子が何をしていても注意しない親たち、たむろしている中学生を注意すると反撃にあうと思って、その場では何も言わず警察に通報する大人、隣の人の顔さえ知らない会社中毒の男連中、地域の行事を理屈をつけて忌避する人たち、こういうところから直していかないとなかなか復活しない。

しかし無理やり引っ張りだす形ではなかなか長続きしない。

小生の経験では、子どもをかわいがる大人は子どもの集まりから、だんだん大人たちの集まりへと移行していく。子どもが嫌いな親はほとんどいないので、それが自然なきっかけとなる。

さらにマンションについてはこんな手法もある。マンションの管理組合は多くは輪番制なので、義務として強制的に参加をせざるを得ない。少し前標準マンション規約でコミュニティの重要さが見直され、夏祭り・もちつき大会などの地域行事に管理費を充てても良くなったので、あわせて参加しなかった大人たちをコミュニティに引っ張り出し、その再生に一役買った。
そのせいか同じ団地(違う住戸)に住む2代目が増えてきた。手前みそだがコミュニティの再生には大いに参考になる。ただし10年はかかった。

残念ながらタイトルのような「明日から」「具体的に」「私たちが」できることはなかなか見いだせない。再生には時間がかかる、持続的に少しずつ変えていかないと、しかしながら確実にやっていかないと瀬戸際に追い詰められている日本の教育は決してよくならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿