2010年11月15日月曜日

友人の指摘

私のブログをみた友人はあるときこう言った。
「お前のブログのタイトルを見てきてくれた人は、内容を見て驚いて出て行くよ」

わかっている。自分で分かっているが、筆は止まらない。いまさらタイトルは変えられない。それからこのタイトルの「スローライフ」「人中心」と二つのキーワードでGoogle検索のトップに出るのだ。

そもそも「人の幸せ」が、今の世の中のようにカネとエネルギーをジャブジャブ使って大量消費しないと得られないものであるとは、どうしても思えなかった。

幕末から明治初めに日本にきて、幸せに暮らす庶民の姿と自然の美しさに日本の虜になったガイジンが大勢いた。小泉八雲、グロピウス、モース、、、、等々。

庶民は宵越しの金は持たないほど貧乏な人は多かったが、また有り余るものを持つことはなかったが、日々の生活は幸せだった。


それに引き換え街を歩く現代人の表情にゆとりは感じられない。医学も発達し、寿命は延びた。欲しいものはとりあえずたいていのモノは手に入る。より好みをしなければ、仕事にも就くことができる。

なぜ幸せそうに見えないのか。いろいろ考えて得た結論は現代人は忙しすぎる。忙しくても楽しければいい。がそれは強制された忙しさだ。そこには仕事の喜びはない。

ガンはストレスが原因になることはいまではよく知られるようになった。それは免疫力を損ない、日々生じるガン細胞を自らの力で消し去ることができなくなることから起きる。その大事な役割を「免疫力」が担っている。

そこまで致命的ではなくとも、ストレスは何らかの障害を体に及ぼす。

その主原因が忙しさ~ファストライフと考えれば、その反対の「スローライフ」で人が幸せになれると考えたわけだ。

もう少しスローライフを強調すれば、このブログも恰好をつけたかもしれない。しかしその世の中にはそれを実践するには、社会環境が整っていないように感じられた。景気がどんどん悪くなり、ゆったり暮らそうというゆとりを感じられるためには、政治が重要だと思われた。
ここまで申し上げれば、何が言いたいのかようやくわかっていただけると思う。

いくらスローライフと言っても世の中の動きと無関係には暮らせない。たとえばパソコンを駆使して仕事がバンバンできる優秀な人がいて、余りに忙しすぎるから仕事を減らそう、都会では忙しさが緩和できないので、田舎暮らしでインターネットを通じてゆったり仕事をしようと思ったとする。ところが景気が悪くなり肝心の仕事が減ってきて、依頼するほうに主導権が握られれば、仕事を選ぶ「ワガママ」な人は減らそうと思った以上に仕事は減ってしまう。肝心の最低限の生活ができなくなってしまう。

また社会がスローライフを許す余地が減ってきたのは、「カネカネ」と利益ばかり追求する企業が近年やたらと増えてきたことと関係がある。これは数年前の小泉竹中が進めてきた「構造改革」と関係が深い。日本だけに要求をガンガン言ってくるアメリカの動きも関係ある。

スローライフを実践するための障害~外堀を埋めようとして、無数の障害と闘う羽目になってしまった。要するに社会全体に風呂敷を広げすぎてしまったのだ。

「隠遁生活」をテーマにすればもう少し独自な世界を築けたかもしれない。でもそんな自己満足をする気にはなれなかった。

結局良心的な日本人みなが幸せになるためには、、という方向に向かってしまった。とてつもない大きな目標をつくってしまった。

でも自分の頭が考えることをむりやり別の方向へ転換することは難しい。しばらくはドンキホーテのごとく、ひとの幸せの障害になる社会現象に立ち向かっていくことになりそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿