2010年10月26日火曜日

経済戦略の乏しい日本

経済は著しくグローバル化している。物の流通(貿易)から始まって、生産拠点の移動、お金の移動、会社の移動まで、基本的には国境ラインが経済に限っては薄くなってきたと思っていい。

そんな中で国の政策を、これまでの行動パターンから脱却できない官僚に依存してきた政府は、日本を世界の中からとり残す結果を招こうとしている。

日本が、「政治とカネ」「誰それが不倫をした」「官僚が言うことを聞かない」「予算が可決されない」云々などと国内のヒステリックな「調整」をしている間に、ますます思い切った政策を実行するということが困難になってきている。

菅首相は「480人内閣、国会みんなで決めよう」と自らの意思を強く出さない極めて指導力の乏しい人物だと分かった以上、しばらくはますます日本が国際経済情勢から取り残されるのを指をくわえてみるしかないようだ。

自民党政権時代にアジアはじめ世界の主要国が国際空港をハブ化してきた。そんな時国内では「わが県に空港を」と地元に誘致合戦をするセンセイ方が頑張って、赤字垂れ流しをする地方空港を数多く造ってしまった。その費用は一体何十兆円になるのか。それをもっと早く羽田空港のハブ化に費やせば、こんなにも水は明けられなかった。

先日やっとインドとのEPAがまとまったとの報道があったが、これは韓国はじめ世界各国ではどんどん採用されている、関税のない自由貿易のことだ。差が付いてきてはじめて気がついていては遅い。

日本は経済戦略が大きく立ち遅れているのはもう自明のことだ。日銀だ、財務省だ、経済産業省だ総理府だなんてごちゃごちゃ言っていないで、本当に国際的にいいことだ、やらないと立ち遅れると分かった時点で、各省庁地方などの権益を即調整して、それでも全部を調整しきれないので思い切って政治判断とする実行力のある指導者が必要である。

いま龍馬が大人気なのは、時代が「人物」を希求しているからだろう。各省庁や圧力団体、経済界がまさしく自己組織の立場だけ重視する「藩」である。こういう殻を破り、本当に「日本」を考えてバラバラな意見をまとめ思い切った策を講じないと、本当に日本は沈没してしまう。

2010年10月21日木曜日

自転車ライフ

昨日は雨模様であったが、折りたたみ傘を持って思い切って8km先の営業先へ自転車で出かけた。

前職会社役員だった時、やめる2年前から通勤に自転車を使っていた。社員には自転車はエコで健康にも良くお金も使わないので一挙3得であると宣伝し、しきりに勧めていたが問題が生じた。会社が自転車通勤者の通勤手当を止めようとしたのだ。

ここから役員会議で喧々諤々の議論。先の3得を説明し社員の健康にも貢献すること、名古屋市はじめ役所でも自転車通勤手当を認め始めている旨をとくとくと説明したが、私以外は全員車通勤者の中で4対1の不利な闘いをしていた。

果ては「自転車で通勤しているのに通勤手当をもらっているのは詐欺に近い」という発言が出るのにおよび、こちらはついに切り札を出した。「それを言うなら役員も全員、通勤以外の車使用分のガソリン代を自己負担しなさい。」

これで役員全員沈黙。勝った!

あちこち自転車を使うようになる前に心理的な壁がある。距離で言うと3km。これを超えればどんどん距離が伸びるのが面白くなる。10km~20kmの微妙な距離は自転車で行こうかととりあえず検討することになる。

一番の障害はなんといっても雨。これは「かっぱ」で克服できるが、自転車愛好者でもそこまでして「自転車」にこだわろうとはしない。
2番目に自転車の通行を拒絶するかのような狭い道。歩道があっても狭い歩道は人に対する遠慮、車との競合は危険とも隣り合わせ。日本の道は自転車には厳しい場合が多い。路側帯が1.5mは欲しい。
3番目に段差。走行方向に垂直の段差も不快だが、平行な段差はタイヤをすくわれる。あっという間に転ぶ。

まだまだあるが、つらいことばかり挙げると普及促進にならないので、楽しいことをたくさん。
まず何といっても風が気持ちがいい。
それから達成感がある。以前名古屋からおちょぼ稲荷のある岐阜県海津市まで35kmを走破した時は、日本1周も近づいたと思ったものだ。(実際にはここにもも一つ大きな壁がある)
なにより車に比べて町や村など暮らしぶりや野山の自然に身近に触れることが、自分が地域や歴史や地球とともにあるということを実感として感じられることだ。
ときに昔の道を発見できる。

この写真は甚目寺までの道のりで発見した美濃路だ。
昔の道は自然発生的に発達しているので決してまっすぐではない。またたいてい平行して立派な道が走っていて車はおのずとそちらに集中。えてして狭いが、それゆえ自転車としてはかえって走りやすい。
だから自転車で走っていると、突然の発見のために常にデジカメは欠かせない。

現代社会のいろいろな場面でだんだん忘れさられようしているのは具体性だ。
最近リニア新幹線のルートの決定があったが、一番工費のかからない直線に決まったとのこと。山岳地帯を直線で走ればおのずとトンネルばかりになる。景色のほとんどない旅、途中経過は関係なし、最初と最後だけ、ただ移動だけが目的、何もかも「合理的」すぎる。突き詰めれば最後は肉体は不要で脳味噌だけになる。脳は脳波で機械をコントロールし化学物質で簡単に快感を得られる。生産はすべてロボット、取引や会議もコンピューターを通じて操作、スポーツなどの疑似体験も脳波で再現できる。金持ちの脳は快楽物質を多く手に入れ、体験ソフトを多く手に入れ、自己増殖ないしDNA再生により子孫を多く残せる、、、、おっと、飛躍しすぎた。

こんな未来にしないためにも、自転車という具体性を取り戻せる「道具」が大きな役割を担う、というメッセージもあながち大げさではないような気がする。

2010年10月17日日曜日

大連滞在記


先週1週間は中国東北部にある大連市にビジネスで滞在。ずっと中国語の嵐の中で過ごしてきたので、日本語が自然と流れている母国へ戻ってきてほっとしている。

日本と違って地震のない地域なので40階50階の超高層ビルが林立し上海ほどではないにしろ、経済発展が著しい。ただ雨が少ないせいか(名古屋市の1/3)街全体がほこりっぽくビルや環境も含めて清潔感は少なかった。

4年前上海に訪問した時も感じたが日本と違って信号が少なく、人も含めてその交差や横断の方法はまさにアクロバットである。ほんの少しのチャンスを見計らって自然体でささっと移動しなくてはならないのである。走ったり急に止まったりはご法度だ。もちろんこちらは怖いので走るが、逆に運転手から見たら「なんて危険な行動をするのだ」と思われているらしい。

特に危ないのは「人優先なんだから車は止まってくれる」と思うことだ。車が止まってから渡るなんてことは考えないほうがいい。そのままの速度で突っ込んでくる。これが恐怖で立ち止まる、車はかろうじて止まるが後の車も含めて怒る、あたりまえだ、秩序を壊しているのはこちらだ。

しかし何車線もある道路であれば、一度に渡るチャンスはなかなかやってこない。そういう場合は尺取り虫の如く車線ずつ横断していくのである。中国人はこれを当たり前の如くこなしていくが、道路の真ん中で止まっていても両側からひっきりなしに車が脇を通り抜けていくのである。それもぶつかれば確実にただで済まない速度でだ。これはまさに恐怖だ。それが怖ければ完全に両側の車の通行がなくなるまで何分も待つしかない。

通常の生活レベルでいえばそれ以外にあまり違いを感じることは少ない。あたかも資本主義国家のようである。共産主義的な特徴を探すのは難しい。日本同様、一見自由な国のようだ。もちろん報道で言われているようなマスコミやインターネットに対する言論統制はあるだろうが、日常ではほとんど感じられない。

ただ閉口するのはビジネス上の会食の場合の乾杯攻勢だ。例の回転テーブルの周りに10人から15人位が座る。ときどき誰かが杯を手にし口上を述べたら他の人も同様に杯を持って、口上が終わると同時に皆で一気に飲み干さなければならない。これが他の人も同じ人も繰返し繰返し何回も続く。

これを知らない人は正直に付き合うとぶっ倒れてしまうので、ついでもらうとき杯の量を少なめにしてもらうとか、乾杯以外は飲まないようにするとか、ギブアップしそうになったら色のよく似たソフトドリンクにしてもらうとかなにか対策が必要である。私の場合はあらかじめ耳打ちされていたので、かろうじて大丈夫であった。いやはや中国でのビジネスはお酒に強くないと難しいものだ。

尖閣諸島の騒ぎが収まったあとであったためか中国人の対応はどこでも友好的であった。
特に感じたのはホテルの対応である。4年前の上海とは大違いである。トイレットペーパーの補充もシカトされたりお風呂に錆水がでたり、英語も通じなかったりしてきわめて悪い印象であったのが、水は飲めそうなくらいきれいになっていたり、急にチェックアウトすることになったが、午後6時までならキャンセルOKだったり、朝7時前のチェックアウトの際朝食時間前だったので、代わりに弁当を出されたり、逆に日本のホテルも真似してほしいと思ったりした。

最近また反日デモが起きているらしいが、実感としての反日感情は皆無である。上海に常時滞在し時々帰ってくる友人が、尖閣諸島の中国船体当たり事件の時も周辺の街の様子も人の対応も反日的な雰囲気は感じられず、日本の報道をみて驚いていたことが思い出される。

日本のマスコミも「政治とカネ」報道や過剰なデモ報道など恣意的な時もあるのでそのまま鵜呑みにしてはいけない。

経済のパートナーとしての中国の位置づけはますますその重要度を増す。いや中国ばかりでなく韓国やベトナム、カンボジアなどアジア諸国は経済的には一体的にならざるを得ないだろう。それを見据えて今後の外交を進めるべきである、とますます確信をさせられた中国出張であった。

2010年10月10日日曜日

地球温暖化対策


地球温暖化説は間違いだという人もある。
確かに完全に証明したといえないが、そのためには莫大の費用と時間をかけなければならない。それまで待つのは正しい選択とはいえない。何しろ200年間でのCO2濃度の14%の増大など数多くの状況証拠があるのだ。

そもそも人口あたりの使用エネルギーの消費は人類史上恐るべきレベルなのだ。歴史的に見て初めてのことを経験しようとしている。温暖化の原因の証明と引き換えに地球や人類を実験台にして、多くの取り返しのつかないことになってしまう。これはあたかも昭和30年代の公害問題が多くの犠牲者のうえで社会問題化され、遅ればせながら法整備がなされたのと類似している。


ここでドイツの太陽光発電誘導政策に注目しよう。

ドイツは'04年の自然エネルギー法の改正により飛躍的に太陽光発電の普及を伸ばした。日本では自民党政権が05年の住宅用の太陽光発電に対する補助の打ち切りにより、それまでドイツの倍の設置規模を誇っていたのに、05年で逆転し、06年には完全に逆転しドイツが日本の倍の規模になってしまった。

自然エネルギー法改正は電力の買い取り量、買い取り価格の保証により高いコストをかけて導入した後の投資回収を容易にし、普及を急増させた。さらに生産の拡大がよりコストダウンをもたらし、加速させたのである。
買い取り量・価格の保証の原資として一般電力利用者にコストを転嫁したことが成功の原因である。
欧州は地球温暖化に特に熱心だ。これが一般利用者や電力会社の容認につながった。

現在エネルギーを太陽光発電に移行していくことこそ最もCO2対策に有効なのだ。
原子力は欧州では以前の脱原子力は多少緩和されたが、それでもできれば避けたい気持ちが強い。
日本では以前よりさらに原子力アレルギーが強くなっているので、新規の建設はおそらく無理であろう。

京都議定書の期限も迫り(CO2を2012年までに1990年比6%削減)鳩山前首相の約束(2050年までに25%削減)もあるので今から真剣に対策を考えてほしい。

2010年10月2日土曜日

減産社会

昔ものはほとんどロボットが生産して人は何もしないで暮らしていける幸せな世界を描いた漫画や小説があった。少年だったころはそんな夢みたいな世界はホントに来るかなと半信半疑だった。

それが実際にすぐそこまで来ている。ところが「夢」は実は悪夢だった。

人は何もしないでもどんどん生産はするが、人がいらなくなったため給料をもらって物を消費する人がいなくなったので、皮肉なことに生産する必要がなくなったということだ。

その表現に多少の誇張はあるがロボットが活躍して人がそんなに要らなくなったのは事実である。買う人が減ったというのはモノ余りもあるが、平均給与がどんどん下がって節約志向になり、モノをあまり買わなくなった。そのために生産はすれどもなかなか売れない→デフレ傾向になる=お金の価値が上がる→ますますモノをあわてて買おうとしなくなるという悪循環に陥る。

この現象が世界規模で起こっているので輸出が盛んな日本は不況のアメリカから円高圧力をかけられ、輸出力を削がれる。欧米各国は通貨流通量を増やして自国通貨を相対的に下げ、輸出を増やそうとしているが、日本はそれをあまりやらないため、また為替介入を必要最小限しかしないため、どんどん円高になる。先月15日に2.1兆円の為替介入をして82円台を85円台に戻したのもつかのま、いつの間にやらまた82円台にならんとしている。(2日現在83円40銭)

短期的に見ればいろいろな現象があるが、マクロでみれば世界の生産力が過剰気味でモノを売る競争が激化してくるのは間違いない。省力化、生産力増大の傾向は今のままでは変わらないため、この傾向も変わらない。食料以外の必要なものは、少なくても平均的日本人の身の回りにはそろっている。

日本を救う対策は------

1地球環境配慮に貢献できる機器や製品に更新する。
2新鮮でおいしく安全な食料生産と供給体制をつくり、国の支援で食料自給率を上げる。
3住居のリニューアル・設備の更新など生活の質向上をめざす。
4国の基盤を見直し社会資本の質の向上をめざす。たとえば環境配慮、メンテナンス重視、電線地中化や街並み整備など美しい町づくりを基盤レベルと民間支援レベルで進める。

結局地に足をつけて社会全体の質を高めていくことを目指したい。余力のあるうちに輸出に頼っている現況から限られた消費をきちんとコントロールし、安い海外の労働力に依存しない建築・土木・エネルギー関連の産業シェアを高め、食料を自給しやすいよう国内生産性を高め味や安全性はあるが、高くて手に入りにくい現状を少しずつ変えていけば、国内の生産を海外の低コストの脅威から免れる体質に改善できる。

為替や株が乱高下し、会社が単なる投資の対象と化し、社員が不幸せになろうが会社がとことん利益を追求し、うつ病や自殺者が増える今の社会情勢は決してひとを幸せにしない。

どうじたばたしても、モノがどんどん売れるという時代はもう来ない。日本のGNPはどんどん下がっていく。一人一人の所得は確実に減る。これからの時代は減産社会なのだ。地球を大量消費していた今までの時代がおかしいということだ。

しかし地に足をつけ、社会が安定し、緩やかだが日々仕事に暮らしに幸せを感じる社会が必ず来る。
そういう社会を目指そうではありませんか。