2010年12月31日金曜日

一年を振り返って

自分自身の今年一年を振り返ってみると、社会コミュニティ-参加にシフトし、政治に興味を持った特別な一年であった。

2月にぺちゃくちゃナイトという交流会に参加をしたのを皮切りに、4月にその主宰者のオープンゼミに参加したことがきっかけで、大ナゴヤ大学の長者町ゼミに参加。その後に大ナゴヤ大学の学生登録をするという逆コースの成り行き参加であった。
5月にはゼミ情報取得のために子どもたちがやっていたのを横目で見るだけだったミクシィに登録、7月には簡単に始めることができたグーグルを利用して初めて自身のブログを開いた。
さらに前後してツイッターを始めるという急な展開だった。

そのツイッターがすごかった。
はじめはからきし要領がつかめなく、ただつぶやくだけで何の意味があるかと思ったものだが、そのうちだんだん慣れてきて、ツイートが面白いと思ってフォローした一部の人が盛んに小沢氏を応援している。私のそれまでの小沢氏のイメージはマスコミがいうほど「政治とカネ」に汚れた人とは思わなかったが、やり手で辣腕な多少グレーな政治家程度の認識であった程度だ。

しかしツイートした人からは自ずといろいろな情報が得られる。たとえばその人のブログ。またそのブログから貼り付けした別のサイト。その人がリツイートした別の人のツイートはまた真実の片鱗が見えてくる。そのまた違う人、ぐるーっと回って意見が近い人の輪ができている。一様に「理念のある優れた政治家」と賞賛している。

その人たちが偏向しているかもとも思ったが、真実はいろいろの情報が得られた場合、自分で決められる。新聞テレビなど大手メディアが確かにおかしいという情報は次から次へと入ってくる。その裏付けはインターネットで自分の目で確認できる。

これはなにかすごい世界だ。いかに自分はマスコミの情報のみを鵜呑みして、偏向していたか、マスコミの情報がいかに偏向が多いか本当に思い知らされた。このことはこのブログで語っているので繰り返さないが、びっくりするのは自分の変わりようである。

今年はさらに河村たかし名古屋市長が仕掛けた名古屋市議会リコールの活動も行い、自身の政治参加が意識から行動へ移った画期的な年であった。もともと河村市長は言葉使いは悪いが政治姿勢は誠実で実行力もあり、応援していたが、「受任者登録」から始まった署名活動は戸別訪問にとどまらず、街頭署名にも発展、市民の反応は賛否いろいろな人がいて、なかなか興味深いものであった。

その後のなかなか集まらない中盤、46万人署名で確実と思われた9月末の締切、前例のない10月末の審査期間の延長、11月末には無効票11万との偏向選管の発表で一旦不成立かと思われたが、異議申し立てで12月中旬には成立決定の大逆転。そのすべてに直接かかわってはらはらしながらも、最終的には充実感を味わさせていただいた。

本当にいろいろな人とかかわり、自身も大きく変わった一年でした。
皆さん、いろいろとありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

2010年12月28日火曜日

おかしな建築たち⑦


大阪で見かけたこの都会に不似合いな杉の大木。
ここには写っていませんが生えている足元は花壇です。おそらくもともと花壇にふさわしい中くらいの木だったのが、年月とともにどんどん成長を続けて、今日の姿になったのでしょう。たくましい成長力に驚きます。

同じビルの屋上にはこれまたジャングルのような植栽群が、ビルを占領する勢いで我も我もと顔を出しています。
本来ビルの屋上にあまり厚い土を載せると重くなって、構造的に不利なのでせいぜい50cm位しかない場合が多いのですが、この木の茂り具合ではその厚みも厚いことが予想されます。

建築は人工物ですが、木は自然のもの。対比的なこの光景はそのせめぎ合いを示していますが、このビルではどちらが最終的に勝ちを収めるかは予想がつきますね。

2010年12月22日水曜日

おかしな建築たち⑥



ほとんどの方がこの写真をご覧になってどこがおかしいだろう?とお思いになったと思います。
建物と建物をつなぐこの庇には樋がないため雨の日には跳ね返りが下から来るのです。まだこの日はさほどの大降りでもなく、風も強くなかったのでまだましですが、小降りでも庇の高さがありますので、跳ね返りは相当のものです。傘を斜め下向きに差したい位なのです。

樋を付けない理由はおそらく見た目がかっこいいということでしょう。これを設計した人は気づいていない可能性があります。たまたま雨の日に自分の設計した建物を見に来れば、わかるかもしれません。

もう一つここには困ったことがあります。遠方で人が庇に沿ってなにやらくつろいでいます。これは建物の中に喫煙所がないので、愛煙家はここで一斉にくゆらすのです。非喫煙者はたまったものではありません。

かく言う筆者は15年前にやめました。以前吸っていた人間は全然吸ったことのない人よりずっと煙には厳しいとよく言いますが、まさしくその通りなんです。
傘をもうひとつの建物の入口に置いてきた人はこれを避けられませんが、私は小雨をいいことに写真を撮った後雨の中をダッシュしました!

後者は設計者のせいではないのですが、建物をかわいがっていただくためには建築家は想像力を働かせねばならないということですね。

2010年12月18日土曜日

国民を洗脳するマスコミ

マスコミは小沢氏の政治倫理審査会への出席か否か、民主党が分裂するか否かで騒がしい。
いつからマスコミこんなにもくだらないことに時間を費やすことになったのか。

マスコミは田中角栄のロッキード事件に味をしめて以降、政治とカネ問題にしきりと狙いを定め、国民に媚を売りスクープを求めてやかましいくらいだ。

残念ながら小沢は潔白で民主党も小沢氏を国会に引っ張り出す大義名分がないため、分裂に至る前に党内世論をまとめきれない。したがって何かが起きそうというマスコミの期待に答えれない。

12月14日のTBSの朝ズバで森ゆうこ議員がみのもんた、与良正男、杉尾秀哉を相手に堂々と論破した。
「TBSは小沢氏に罪があるような証言者をねつ造したビデオを放送」
「小沢氏を政治倫理審査会に強制的に引っ張り出す法的根拠はない」
「小沢氏の元秘書が起訴された『西松事件』は訴因変更で存在しない事件」

それに対しTBS陣は自ら操作した世論調査を根拠にただ「国会で説明を」と繰り返すばかりである。

そもそも不思議な検察審査会の経緯はともかく、小沢氏はそのために強制起訴されて、司法が裁こうとしているのに立法府である国会が起訴するということは三権分立の原則に反している。

(検察審査会は行政責任部署のあいまいな部署で闇に包まれている。現に1回目とメンバーが入れ替わった2回目が平均年齢が小数点2けたまで同じというとんでもない発表を事務局である裁判所が行った。さらに訂正した年齢も明らかに数学的論拠に欠けている数字をだし説明を曖昧にしている。)

本来マスコミは、これから行われようとしている政策や国際情勢などの情報を国民に提供、啓蒙するという重要な役割をしているのに、スキャンダラスなスクープばかりか捏造までして国民を洗脳している。

これが執拗にくりかえされるので、1日中テレビの前に座っているおじいちゃんおばあちゃんは理由もわからないのに「小沢はおかしいことをやっている」「厚労省の村木は有罪だ」「薬害エイズの安部医師は悪いやつ」となる。

放送法で政治的中立を義務付けられているのにもかかわらず、ねつ造中傷を繰り返しても一向に罪に問われた形跡もないのは不思議だ。言われた方は途方もない被害を被っているにも関わらず、まるで暴力である。

マスコミによる洗脳、「世論調査」が今後とも繰り返されると思うと憂鬱である。
一体正義はどこへ行った、、、

2010年12月14日火曜日

おかしな建築たち⑤

今日もどちらかというと構造物ですね。
自転車で走っていると車道の段差が気になりますが、こんなのがありました。

写真の右側が短いので少し見にくいのですが、この縁石の長さは1mくらいしかありません。歩道の形式には2種類あって、車路より高くなっているものと車道とフラットで縁石だけが突出しているものです。ここは混在しています。

ちょうどフラットなところに人が歩いていたので、それを避けたら危うく自転車で突っ込むところでした。
人が引っ掛かりやすい罠は道路にはたくさんあるのですが、これは際立っています。

どうしてこんな縁石ができたのでしょうか。
たぶんそれはお役所には道路の作り方のマニュアルが原因しているのでしょう。道路の具体的な事情を勘案しないで、それに沿って機械的に作るとこうなります。

かれらは現場の状況に合わせて作ると上司に怒られるのでしょうね。お役所仕事にかぎらず組織が大きくなると本来の意味を忘れて規則が独り歩きする弊害が出てくるものです。

写真をよく見るとくだんの縁石にはタイヤのこすった跡がいっぱいついています。みんなに迷惑がられる縁石も「なぜ俺はここにいるのだ」と自問自答しているのかもしれません。

2010年12月8日水曜日

おかしな建築たち④

今回も建築というより工作物だがお許し願いたい。
写真は大阪の神社の池。

そもそも池は人工的に作ったものではなく、昔からそこにある景観である。
おそらく管理上からネットを設けたと思われるが、著しく景観を傷つけ、心理的にも、歴史・地理・文化的にも、すべてにおいてこれを見た人の心は傷つくであろう。

手間をかける、手入れをするなど物や環境を大事にする心がどんどん失われていくのだろうか。すべて「面倒だから」という気持ちから来ている。

自然を大事にすることにより人間の心に訴えるものがなければならない神社が、あろうことか「管理」「面倒」を優先してしまっている。まったく憂えるべきことである。

2010年12月6日月曜日

おかしな建築たち③

写真は黒川紀章設計の豊田大橋。

デザインは素人には評判がいい。
しかしどう考えても張りぼてに見える。下の写真は近接して撮った写真。
パネルで覆われている。
本来橋の美しさは構造が端的に表れているところにある。
建築も同様だが、近代建築に駄作が多くなったのは材料の強度が高まったことにより、建築のデザイン自由度が高くなったことに起因していると思う。
自由だから勝手に付加物を付け、構造を隠し、「デザイン」したことに問題がある。

また片側2本の内、外側のアーチはどう考えても構造的に寄与していると思えない。
下の写真はちょうどその中央部分だが、左右のアーチの足元にスリットがあり、構造的に不可解であり、外見のみにこだわった様子がありありとわかる。

さらに「張りぼて」には長期間の耐久性に問題がある。構造材とパネルとの間には空間があり、このなかに水分が入り込むと外見では分からない腐食が始まることになる。
外見でわかれば対策の方法があるが、本体が隠されていると知らないうちに致命的になる。
もうパネルのジョイントが汚れているが、心配である。

2010年12月4日土曜日

おかしな建築たち②

先回建築士は空白が嫌いと書いた。
これもそんな部類に入るのかもしれない。

ちょうど角地にあるのだから皆が通れるようにするとか、ちょっと腰掛けられるようにすると通行人は喜び、建物とその作り手に対しても好印象を持つはずだ。
まるで墓石のような光景を見るよりずっといいはず。公共の場に与える影響に建物はもっと責任を持つべきだ。

2010年12月3日金曜日

おかしな建築たち①

今世間ではB級ブームである。それに便乗してシリーズで紹介していきたい。
これは名古屋市近郊都市の賃貸マンションの「庭」である。マンションのバルコニー側からも道路側からもこの庭に入ることができない。
それを作った人たちには植栽の水やりや手入れは念頭にないのかもしれない。
想像するに設計士はえてして建築の余った部分を植栽で埋めたがる。空白恐怖症というものだ。
一方建築主(大家さん)は敷地を囲いたがる。囲い込み症候群だ。
この2つの合併症がこんな症状になって世間に登場したのである。

フェンスはポスターを貼るのにちょうどいいかもしれない。住人は2重のバリヤーに囲われて安全かもしれない。
しかしこの景観の悪さは気になる。植栽たちの将来も気になる。

「この気の毒な植栽たちの未来に幸多からんことを、、、」

2010年12月1日水曜日

怒れる中国人妻

市議会議員リコール署名に関連して、ある家庭を訪問したとき、その家の中国人妻が尖閣諸島漁船体当たり事故に関してこう言った。

「日本人は情けない。あんなビデオさっさと見せればいいのに」「もっと中国に強く主張すればいいのに」と発言して私を驚かせた。

彼女は日本人と結婚して得た子どもの将来を考え、日本はもっと強い立派な国にと願ったのだ。そして私以上に日本政府の外交に腹を立てている彼女をみて、日本人であるこちらが恥ずかしくなった。

昨日はNHKの人気番組「爆笑問題」でも「中国入門」というタイトルで日本人の中国人評、中国人の日本人評を闘わせていた。

尖閣問題で中国人デモに関して中国人自身が「一体何のこと」「13億人のうちたった1000人のことは大したことではない」という正直な感想に対して、それを大げさに報道したNHKは「中国人はさめている」というコメントで、報道姿勢の偏向を悟られるのをさりげなくかわした。

中国人はストレートだ。かつ「国」よりストレートに「個」を出してくる。中国人には歴史的に国境を越えて活動してきた経緯がある。これは欧米の個人主義に近い。日本人は共同体の中の一員として「奥ゆかしく」ふるまってきた国民性がある。

どちらがいい悪いという問題ではないが、混沌とした国際情勢の中、「個」の力を発揮しないと新しい時代は切り開けない。過去には日本でも戦国時代の織田信長、幕末の坂本龍馬や志士たち個人が活躍してきた歴史があるのだ。



集団が個の力を削ぐことは非常に多い。世界を変えるような人は集団にとっては常に異端児なのだ。現代の日本の教育、使命感のない公務員、責任をとらない企業人、情けない政治家たちはそれぞれの集団の論理でしか動けない。

自らいい悪いと価値判断する力が冒頭の「怒れる」中国人妻の足元にも及ばない日本人があまりに多いことにこれからの日本の行く末が思いやられる。