2011年9月27日火曜日

とんでもない判決~陸山会事件

昨日26日、東京地裁で陸山会事件・西松建設事件の判決が出された。大久保元秘書・石川衆院議員・池田元秘書にそれぞれ執行猶予付きの有罪判決が出たのだ。

唯一の証拠とされた自白も検察の取り調べ方法の違法性から、裁判所でも証拠採用とならなかったので、検察も訴因変更する位、この事件は証拠に乏しく、ほとんどの人がおそらく無罪と考えていたので、この有罪判決には驚きが走った。

判決要旨から理由を抜き書きしてみる。

【西松事件】
1)新政治問題研究会と未来産業研究会は西松建設が社名を表に出さずに政治献金を行うために設立した政治団体であり、西松建設の隠れみのにすぎず、政治団体としての実体もなかった。

2)小沢事務所の秘書から発せられる本命業者とすることの了解はゼネコン各社にとって「天の声」と受け止められていた。

【陸山会事件】
1)被告側が主張する「同年10月初め~同月27日ごろまでに小沢から陸山会が借りた合計4億円」を書いたものとすると、それを担保にする形をとって小沢元代表名義で銀行融資を受け、転貸された4億円を記載しなかったことになり、不自然

2)石川被告が4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行6支店に分散入金したことなどは、4億円を目立たないようにする工作とみるのが合理的。4億円を原資とする土地取得も04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推認される

3)陸山会は04年10月ごろ、原資が明らかでない4億円もの巨額の金員を借り入れ、さらに石川被告自ら、水谷建設から5千万円を受領した。小沢事務所は常にマスコミのターゲットになっており、これらのことが明るみに出る可能性があったため、4億円借り入れの事実を隠蔽しようとしたと推認できる

4)しかし預かり金と言いながら「預かった理由や返済時期、5団体が分けて預かる理由や金額も分からなかった」などと述べ、著しく不自然、不合理で到底信用できない。

5)土地の本登記を05年に繰り延べるため、仲介業者との交渉をした際、大久保被告らは購入原資を既に確保し、当初の契約内容通り04年10月29日に残代金を完済し、所有権移転登記を受けることができた。完済後も仮登記にとどめるのは契約の経緯として極めて異例

6)当時の大久保被告は小沢事務所の資金確保を図る立場だった。大久保被告も石川被告と同様、4億円借り入れがマスコミの関心の対象になることを危惧していた。

7)そのような時期に原資不明な4億円もの資金を使って高額な不動産を取得したことが明るみに出れば、社会の注目を集め、報道機関に追及され、5千万円の授受や、小沢事務所が長年にわたり企業との癒着の下に資金を集めていた実態が明るみに出る可能性があった。本件は、これを避けようと敢行された。

全ての判決理由は推論であることがわかる。特に水谷建設から1億円の裏金献金を受け取ったことは検察が立件不可能で贈賄立件を見送っていたことを、証拠もないのに積極的に裁判所が自ら認定したということは、前代未聞のことである。繰り返すが、検察が起訴をしていないのにあえて取り上げて、有罪にしたのである。

陸山会事件などは論理にもなっていない。仮に各秘書が隠そうとするなら、たった3か月の期ずれをすることで世間を欺けるかどうか、子供でもわかる。

そもそも「農転の許可が下りないと所有権移転が出来ない」という法律上の決まりを無視して、「仮登記でなく本登記を10月に出来たはず」なんてことを言うのは、裁判官のくせに法律を理解していないことはなはだしい。
法の番人たる裁判官の名に恥ずかしい。

一番あってはならない事は、裁判所は証拠第一主義であったはずだ。自白が唯一の証拠であるときですら無罪という法理がある。「疑わしきは罰せず」であるはずのものが、「疑わしくないが罰する」という判決なのである。

裁判所がこのような判決を下した理由は、ひとえにこの10月からの小沢一郎衆院議員の審査会起訴による特殊な裁判をにらんでのことだ。要するに現在民主党党員資格停止処分を受けている小沢氏に復権してもらっては、裁判所も困るのである。正義の番人とは昔のことで、原発訴訟、洪水訴訟など、行政に深く絡む裁判では、裁判所はほとんど行政側に有利な判決を続けてきた。それは裁判所の人事や給与などすべて行政に影響を受けているからである。

小沢氏は官僚主導排除を強く主張している。これが官僚には脅威なのだ。当初検察が小沢氏を起訴しようとしたが、断念。法の規定を洗いざらい活用して、審査会で起訴決定し異例の検察審査会による裁判が始まる。どう考えても証拠が全くなく、有罪に持ち込めるわけが無いが、印象操作目的でマスコミが騒ぎ、党員資格停止に持ち込み、間接的に政治的制約を受けることになった。巧妙にリレー式で小沢氏に制約をかけていることに成功しているのだ。この状況をもう少し続けたいことが、今回の大久保秘書らの有罪判決になったのである。将来無罪になるのはわかりきっていても、最高裁まで時間が稼げればいいのだ。

しかしこの判決のおかげで、司法が官僚に癒着していて、正義を果たすどころか、複数の偽証言やねつ造があれば誰でも有罪に持ち込める国だということがはっきりした。これは脅威ではあるが、わかりやすいということでは、民主的勢力を結集できるいい契機をつくってくれたとも考えられる。

テレビや新聞を漠然と信じている考えない国民も、だんだん「おかしい」と感じられる格好の材料なのである。そういう意味では、官僚さん裁判所さんにどんどん露骨にやってほしいと思う今日この頃である。

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