2010年10月21日木曜日

自転車ライフ

昨日は雨模様であったが、折りたたみ傘を持って思い切って8km先の営業先へ自転車で出かけた。

前職会社役員だった時、やめる2年前から通勤に自転車を使っていた。社員には自転車はエコで健康にも良くお金も使わないので一挙3得であると宣伝し、しきりに勧めていたが問題が生じた。会社が自転車通勤者の通勤手当を止めようとしたのだ。

ここから役員会議で喧々諤々の議論。先の3得を説明し社員の健康にも貢献すること、名古屋市はじめ役所でも自転車通勤手当を認め始めている旨をとくとくと説明したが、私以外は全員車通勤者の中で4対1の不利な闘いをしていた。

果ては「自転車で通勤しているのに通勤手当をもらっているのは詐欺に近い」という発言が出るのにおよび、こちらはついに切り札を出した。「それを言うなら役員も全員、通勤以外の車使用分のガソリン代を自己負担しなさい。」

これで役員全員沈黙。勝った!

あちこち自転車を使うようになる前に心理的な壁がある。距離で言うと3km。これを超えればどんどん距離が伸びるのが面白くなる。10km~20kmの微妙な距離は自転車で行こうかととりあえず検討することになる。

一番の障害はなんといっても雨。これは「かっぱ」で克服できるが、自転車愛好者でもそこまでして「自転車」にこだわろうとはしない。
2番目に自転車の通行を拒絶するかのような狭い道。歩道があっても狭い歩道は人に対する遠慮、車との競合は危険とも隣り合わせ。日本の道は自転車には厳しい場合が多い。路側帯が1.5mは欲しい。
3番目に段差。走行方向に垂直の段差も不快だが、平行な段差はタイヤをすくわれる。あっという間に転ぶ。

まだまだあるが、つらいことばかり挙げると普及促進にならないので、楽しいことをたくさん。
まず何といっても風が気持ちがいい。
それから達成感がある。以前名古屋からおちょぼ稲荷のある岐阜県海津市まで35kmを走破した時は、日本1周も近づいたと思ったものだ。(実際にはここにもも一つ大きな壁がある)
なにより車に比べて町や村など暮らしぶりや野山の自然に身近に触れることが、自分が地域や歴史や地球とともにあるということを実感として感じられることだ。
ときに昔の道を発見できる。

この写真は甚目寺までの道のりで発見した美濃路だ。
昔の道は自然発生的に発達しているので決してまっすぐではない。またたいてい平行して立派な道が走っていて車はおのずとそちらに集中。えてして狭いが、それゆえ自転車としてはかえって走りやすい。
だから自転車で走っていると、突然の発見のために常にデジカメは欠かせない。

現代社会のいろいろな場面でだんだん忘れさられようしているのは具体性だ。
最近リニア新幹線のルートの決定があったが、一番工費のかからない直線に決まったとのこと。山岳地帯を直線で走ればおのずとトンネルばかりになる。景色のほとんどない旅、途中経過は関係なし、最初と最後だけ、ただ移動だけが目的、何もかも「合理的」すぎる。突き詰めれば最後は肉体は不要で脳味噌だけになる。脳は脳波で機械をコントロールし化学物質で簡単に快感を得られる。生産はすべてロボット、取引や会議もコンピューターを通じて操作、スポーツなどの疑似体験も脳波で再現できる。金持ちの脳は快楽物質を多く手に入れ、体験ソフトを多く手に入れ、自己増殖ないしDNA再生により子孫を多く残せる、、、、おっと、飛躍しすぎた。

こんな未来にしないためにも、自転車という具体性を取り戻せる「道具」が大きな役割を担う、というメッセージもあながち大げさではないような気がする。

2 件のコメント:

  1. 自転車を盗まれて、10年程。
    昔は東海市から東区まで自転車で通ってた時もありましたが・・・。

    たしかに「具体性」のある乗り物ですよね。

    安いのでも見つけるかな?

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  2. マツナガさん、いらっしゃい!

    いいですよ、自転車。特に知多半島はいいところがたくさんあるので、どんどんはまっていくと思います。
    「ハマのあるとこ、知多半島」ですね。(^_^;)

    地域や自然やひとが好きになる乗り物です。ぜひ!

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