かつての農村を中心とした社会は、決してものは豊富ではないが、心が豊かな、住む人皆が幸せな時代でした。
いまは「成長神話」「競争社会」「大量生産大量消費」「投資」「ギャンブル経済」「金貸し全盛」「企業優先」「合理化社会」等々、、、生き馬の目を抜く、油断の出来ない社会。
社会的ひずみが顕著になりつつある現在、作り上げられてきた価値観をみなおし、180度転換してみると、将来の姿へのヒントがあるように思えます。
日本人には明治維新以後、太平洋戦争以後、「近代化」などと洗脳されてきたとはいえ、「もったいない」に代表される「循環社会」の価値観がDNAとして強く残っています。
そんな文化的価値観を示してくれるブログを紹介します。
みそ汁の具より「うろ」
日本における原油の輸入自由化は昭和35年に始まります。
これによって縄文時代から続いた里山生活、自然との共存を捨て去る事となる。
それから、たった何十年しか経ってないと言うのに日本人の民族性は変化をしているが、今如きの日本人はまだ日本人は大丈夫だといった根拠の無い妄想を持っています。何故、危機意識が無いのか?
理由は経済界・体制政府などの既得権者による情報操作ですね。
経済界は、分かりやすいと思います。商人は利益追随ですので自給自足社会は否定する対象としかなりません。ので、大量生産・消費を促進するしか脳がありません。
で、体制政府の方はと言うと、まあ、一緒です。これも自給自足であればあるほど税収が無くなります。なので、こちらも大量生産・消費を促進した方が税収が上がります。ので、自給自足は不便だの原始的だのといった悪意付きのミスリードをしては、日本の伝統文化を破壊し続けます。
里山生活
木を伐り「ひこばえ」を生やし、薪を生産し、営みを送るには、知識が必要です。
たくさん生えた「ひこばえ」を、たくさん収穫したいからと言っても全部を育てる事はしません。
「ひこばえ」を、育てるには密集してたら互いの成長を阻害してしまいます。なので間伐をします。こういった事は色々と実社会で応用すべき事です。
今の社会は人を人とも思わず、何でもかんでも枠内に押し込めては、ぎゅうぎゅう詰めにし、生かされてます。これぢゃあ、人は育ちません。
また、「ひこばえ」の間伐の仕方によっては切り株部分を腐らしてしまい穴を作ってしまいます。これを「うろ」と呼ぶ。
この穴は、動物や昆虫のアジトとなります。それがまた、山を作る為の栄養となってくれるのです。
人の営みは自然との循環の間にあるものです。人の営みの成り立ち、たまには思い出しましょう。
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転載は以上です。
これからの来るべき社会を思うとき、参考になる姿があります。
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