2013年2月23日土曜日

米国人が語る原爆投下の酷さ

日本人は「原爆がいかに悲惨か、そして戦争とはいえなんでもやってもいいのではない」と主張することは少ない。これは日本軍だけにその責任を転嫁した自虐的戦後の教育やマスゴミと言われる米国にすり寄った日本の報道機関のプロパガンダのせいだ。

しかし、以下のように、その大義名分がないこと、また日本人やアジア人を蔑視する白人至上主義にその行為を至らしめた原因が見られる。

このように悲惨で残酷な核兵器は、いまだに世界に人類を200回も滅亡させることのできる核兵器が存在しているのは、この事実を直視しないからだ。戦勝国は核兵器を持つ権利があるという、誤った考えを改めない限り、いつ突発的に人類が滅亡する事態になってもおかしくない。
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「いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員ではなく女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを否定することはできない。そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう。」
―――ハーバート・フーバー 第31代アメリカ合衆国大統領

「この数年公開された外交文書と当時の米政府高官の日記の詳細な分析により、なぜアメリカが原爆を使用したかが増々明確になってきた。日本本土侵攻を避け る為にも早期終戦にも原爆は必要なかったこと、原爆以外の容易な外交的手段がありトルーマンはそれを知っていたこと、原爆はアメリカの若者50万人の命を 救ったというこけの生えた主張に全く根拠がない、という点で我々研究者達の意見は一致した。」
―――J・サミュエル・ウォーカー アメリカの保守派論客にして 米原子力制御委員会 主席歴史著述者

「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した。」
―――連合国軍総司令官 ダグラス・マッカーサー

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀 者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」 ―――マンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラード

「アメリカはこの戦争を外交的手段で終了させられた。原爆投下は不要だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京大空襲において、同僚達 と、いかにして日本の民間人を効率的に殺傷できるか計画した。その結果一晩で女子供などの非戦闘員を10万人焼き殺したのである。もし戦争に負けていれば 私は間違いなく戦争犯罪人となっていただろう。では、アメリカが勝ったから、それらの行為は正当化されるのか??我々は戦争犯罪を行ったんだ。一体全体ど うして、日本の67の主要都市を爆撃し、広島・長崎まで原爆で、アメリカが破滅させ虐殺する必要があったというのか。」
―――ロバート・マクナマラ ケネディ政権国務大臣 元世界銀行総裁

「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後もアメリカはそれを認めたのだ が、日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視し た。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。 これは爆弾でもなければ
爆発物でもない。これは”毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。アメリカは原爆を投下したことで、中 世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはでき ない!」 ―――ウイリアム・ダニエル・リーヒ 米海軍提督、
大統領主席補佐官

「広島に投じられた一発目の原爆は全く不必要な実験だった。なぜこのようなひどい爆弾を、世界に誇示するためだけに使用する必要があったのか??」 ―――ウイリアム・ハルゼー 米海軍提督

「原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。」
―――アイゼンハワー 米第34代大統領 連合国軍総司令官

「ポツダム宣言は、原爆が何なのかを明確に日本に、世界に伝えることもせず、一般的な修辞句をならべただけの、全くの偽善でしかなかった。私は原爆が正しく使われたとはまったく思っていない。」 ―――オッペンハイマー

「原爆投下がなくても、ソ連の参戦がなくても、アメリカの本土上陸がなくても、日本は1945年12月31日までに確実に、そして非常に高い確率で、九州 上陸作戦開始日である、1945年11月1日までに、降伏していたであろう。」 ―――米戦略爆撃調査団報告書 1946年

「オッペンハイマーはここにいる間中、いつも”自分の手は血まみれだ”と私に言い続けてきた。」
「これ以上日本の子ども達を殺すなど、恐ろしいことだ!・・・頭痛がする。肉体的にか、それとも精神的にか?・・・両方だ」
―――ハリー・S・トルーマン 1945年8月9日 長崎原爆投下の日に

「私はトルーマンに、広島の破壊を示す写真を示した。大統領は、それを見て、我々が負わなければならない恐るべき責任について、私に吐露した。」 ―――ヘンリー・スティムソン 米陸軍長官

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429090869

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